首都プリシュティナの図書館。鉄格子で建物が覆われて何やら牢屋のようだ。この建物の評価もアルバニア人、セルビア人では意見が分かれる。
 首都プリシュティナの中心部は共産党時代に建てられたビルが建ち並んでいる。一家族が住む床面積はせいぜい50から60平方メートルぐらいだろう。しかし郊外へ行くとびっくりする。三階の一戸建てが中心街を取り囲む丘にたくさん建てられている。すべてアルバニア人地域だという。住民によると「家族が多いから家も大きくなる」というが、外から見ても部屋数は9部屋以上ある。経済的に貧しい地域と聞いていたが、そんな状況でどうやったらこんな立派な家を建てることが出来るのだろうか。
 コソボのアルバニア人の人口は約200万人と推定されている。なぜ「推定」かというと、1991年3月におこなわれたユーゴスラビアの国勢調査をアルバニア人は拒否したため正確な数字がはじき出せない。しかし過去の国勢調査をもとに推定することはできる。それが約200万人というわけだ。
 セルビアの資料からすると、1931年から1991年の30年間のセルビアでは、1931年は4,195,670人、1991年は6,765,894人に人口が増加している。つまり30年間で62%増加した。
 ここで興味深いのはアルバニア人の人口増加だ。アルバニア人は1931年は355,517人であったのが、1991年は1,674,353人と470%にも膨れ上がった。民族別割合で見れば、1931年のアルバニア人の割合は8.47%であった。ところが1991年では24.75%にも増加している。また過去40年間でセルビア人・モンテネグロ人合わせて約400,000人がコソボからセルビア・モンテネグロなどに移住しているという。
 このアルバニア人の人口増加率はセルビア人にとって、いやユーゴスラビアにとっても大きな驚異となるだろう。国税調査だけでなく税金の支払いもアルバニア人は拒否していため、増え続けるコソボの人口を支えるインフラは10%のコソボのセルビア人とセルビアとモンテネグロの税金で支えられているといってもいいだろう。1992年から1995年、そして1998年に再び課せられた経済制裁によって、経済問題とコソボの人口増加はユーゴスラビアに重くのしかかっている。

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