余裕のベオグラード
文と写真:坂本亜由理 1999年4月24日

1999年4月10日、来る復活祭を祝うため教会を訪れた人々
 3月24日から開始されたNATO軍の空爆以来、首都ベオグラードの雰囲気はがらっと変わってしまった。ユーゴスラビア政府は基本的にジャーナリストの入国を認めないため、ハンガリーとの国境で7日間待たされた私は深夜にたどり着いたベオグラードを見てがっかりした。
 夜遅くまで若者でにぎわう共和国広場(Trg Republike)にはほとんど人影はない。薄暗い街頭の中にコンサートのやぐらが建てられ、深夜遅くまでやっていたレストランやカフェも閉まっている。空爆前はこの広場に立っていると人の話し声がうるさくて逃げ出したくなるほどの活気があった。誰に聞いても「戦争だから店は早く閉まってしまう」という。
 しかし夜が明け街明るくなってくると空爆が連日続き空襲警報が鳴り響く恐ろしい雰囲気は一掃される。午後12時から始まる「空爆反対ロックコンサート」とでも言うのか、共和国広場のやぐらのから大音響で音楽が流れ続ける。毎日数千人の人々がこの広場に集まり、NATOの攻撃に対し、音楽で迎撃している。参加者達は皆胸に「ターゲット(TARGET)」と書かれたバッジやA4サイズの紙胸につけている。「標的はここにたくさんあるよ」とNATOの空爆を笑い飛ばしている。
1999年4月10日、NATOの空爆からブランコワ橋を守るための集会に参加する女性
 参加者は子供から老人まで広い年齢にわたっている。日本では考えられない光景である。ベオグラードから北西約150kmにあるボイボジナ自治州の州都ノビサドの鉄橋が破壊され、次はベオグラードとノビベオグラード(新ベオグラード)を結ぶドナウ川の上に架かるブランコワ橋、ベオグラードとパンチェボを結ぶパンチェボ橋の上でも連夜、コンサートが行われている。確かにこれらの橋が落ちたらベオグラードの市民生活に大きな影響が出る。今のところユーゴスラビア国民がビザなしで簡単に入国できる国はハンガリーだけである。ベオグラードからハンガリーに行くにはどうしてもドナウ川またはサバ川を渡らなければならない。これは市民生活だけでなく軍事的にも重要である。
 食料品などの生活物資の不足は感じられない。物価も安定している。しかしガソリンなどの燃料は不足している。市民に割り当てられるガソリンの量は月に40リットルだ。終わりのない空爆を知らせる空襲警報は街に響くが、もう人々は慣れてしまったのか防空壕にはいるのは老人達だけである。「もともと何もなかったから空爆で壊されても痛くない。壊す手間が省け新しいものがつくりやすい」などと語り、まだユーゴスラビアの市民には余裕が感じられる。
 

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