空爆への道
文と写真:坂本亜由理 1999年4月24日

 フランスのランブイエで提示されたコソボ和平案をユーゴスラビアが受け入れていれば空爆を回避し、コソボ自治州の平和は維持できただろうか。この和平会議の失敗、つまり欧米諸国、ユーゴスラビア、コソボのアルバニア人にとってもランブイエでの和平会議がターニングポイントだったという認識は間違いないだろう。しかしこの和平会議への道、そして空爆への道をつくったのは1999年1月17日、45人のアルバニア人がセルビア警察によって虐殺されたというコソボの村で起こったラチャク村虐殺事件であることを忘れてはならない。一つの事件を取り上げ国際社会の関心をそこへ向けさせ、最後には国連、NATOを揺り動かし介入させる手法はコソボだけではない。旧ユーゴスラビアの崩壊を導く上でこの方法は有効に機能した。

「確立された国際社会介入の図式」


Photo credit, A. Sakamoto
1994年2月、青空市場砲撃事件で亡くなった息子の墓参りに来た母親。犯行の真相依然としては闇の中にある。=サラエボで
 泥沼化したボスニアヘルツェゴビナに国連防護軍を展開するきっかけになったのもサラエボのバセミスキーナ通りで起きたパン屋に列ぶ人々を襲った爆弾事件であった。ボスニアのセルビア人共和国への空爆のきっかけをつくったのもサラエボの青空市場迫撃砲事件であった。パン屋の行列爆発事件は後になってイスラム教徒の自作自演とわかり、青空市場迫撃砲事件の犯人も結局分からずじまいだった。いずれにせよ一般市民が事件に巻き込まれるとCNN、BBCなどのマスメディアが一斉に報道し、それによって国連を引きずり込むという図式が確立された。
 ユーゴスラビア空爆への道を開いたラチャク村虐殺事件が果たした役割はまさにボスニアで確立した図式の適用だった。
 このラチャク村虐殺事件が起きたとき現場を調査したOSCEコソボ検証団団長のウイリアム=ウォーカーはすぐに「この事件はセルビア警察がアルバニア人を虐殺した」と発表したのである。このコメントを聞いたときまさにボスニアで行われた青空市場迫撃砲事件を思い出した。当時アメリカ国連大使だったマデリン=オルブライト氏は国連安保理で即座に青空市場迫撃砲事件はセルビア人の犯行であると発表したのだ。この事件があまりにも衝撃的だった上にセルビア人の犯行であるというアメリカの「判決」も下り、マスメディアは一気にセルビア悪玉論を展開していった。それによってボスニアのセルビア人共和国への空爆最後通知へと発展したのだ。前にも書いたとおりこの事件の真相は闇の中にあるにもかかわらず。

「事件の真相は闇の中」

 ラチャク村虐殺事件の調査を担当したユーゴスラビアの地方判事ダニツァ=マリンコビッチ氏はIMCのインタビュー取材の中で、検死の結果、虐殺の事実はない。調査した遺体に硝煙反応があり、戦闘中に離れたところから射殺されたと調査結果を語り、同時にその場の調査を完了したときCNNの質問に答え、CNNが知りたがっている以上の情報を提供したにもかかわらず、それは放送されなかった、とセルビア側の調査団の信用性を西側メディアは疑っている事に不満をこぼした。
(マリンコビッチ判事のインタビューはこちらをクリックしてください)
しかしセルビアにとってこの西側メディアや欧米諸国からの不信感を払拭するにはもう遅い。ボスニアから続いているセルビア悪玉説がどうしても足を引っ張る。
 一方、EUから派遣されたフィンランド調査団のヘレナ=ランタ団長は「遺体は非武装の市民であるが虐殺が行われたかは分からない」と1999年3月17日の記者会見で調査結果を説明した。このフィンランドチームの記者会見が行われたとき、パリでは第二回目のコソボ和平会議が行われていた。予定ではランブイエの会議が終了するころ、調査結果が発表される事になっていた。ジャーナリストの間ではパリでの第二回和平会議の進行に影響がでるため発表が抑えられているのではないかと憶測が流れていた。この事件の調査結果をふまえて和平会議が行われていたら、また報道が事実を究明するものであったら、コソボの運命はだいぶ違ったものになっていたろう。

「暴走する国際社会」

 ボスニア紛争から使われている情報操作ともいえる国際社会、国連、NATO介入のきっかけを作る図式が確立されたことによって紛争は当事者の手を放れ、国際社会は議論に明け暮れ、武力行使を続ける。どちらにしてもセルビア警察が追い出しているのかNATOの空爆がアルバニア人を追い出しているのかその事実すらよく分からないまま難民は流出している。もしNATOの地上軍がコソボに派遣されることになったとしよう。当然そのときはユーゴスラビア軍と激しい戦闘が繰り広げられることになるだろう。町は破壊されとても人間が住める状態でなくなる。仮にNATOがコソボを制圧したとし、難民のアルバニア人が戻ってきたとしても果たして以前の生活を取り戻せるのだろうか。ただ一つ分かっているのは破壊したものを再建する代償は計り知れない負担になるということだ。武力介入し破壊するだけ破壊し終わったらそれまでというわけにはいかない。ベトナム戦争といい、まだくすぶり続けているボスニアといい、この図式を用いて平和を創り上げようとするならば本当の平和へたどり着くにはまだ遠い。

(C) Copyright, 1999, The InterMedia Center