空爆への道
文と写真:坂本亜由理 1999年4月24日
 フランスのランブイエで提示されたコソボ和平案をユーゴスラビアが受け入れていれば空爆を回避し、コソボ自治州の平和は維持できただろうか。この和平会議の失敗、つまり欧米諸国、ユーゴスラビア、コソボのアルバニア人にとってもランブイエでの和平会議がターニングポイントだったという認識は間違いないだろう。しかしこの和平会議への道、そして空爆への道をつくったのは1999年1月17日、45人のアルバニア人がセルビア警察によって虐殺されたというコソボの村で起こったラチャク村虐殺事件であることを忘れてはならない。

余裕のベオグラード
文と写真:坂本亜由理 1999年4月24日
3月24日から開始されたNATO軍の空爆以来、首都ベオグラードの雰囲気はがらっと変わってしまった。ユーゴスラビア政府は基本的にジャーナリストの入国を認めないため、ハンガリーとの国境で7日間待たされた私は深夜にたどり着いたベオグラードを見てがっかりした。

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